ふたりでいるのに、どこか満たされない。言葉にならない違和感が、夜ごとの静けさにしみ込んでゆく。そんなとき僕らのすぐそばにいたのは、きちんと愛しきちんと乱れることのできる、もう一組のカップルだった。

こいびとスワッピング!のサークル名はスルメニウム
作品名はこいびとスワッピング!、サークル名はスルメニウム。
幼馴染という距離感そして性という境界
互いに別の恋人がいるけれど、どこか譲れない過去を共有していた。思春期を共に泳ぎ切った彼女は、今や他人の腕に抱かれ快感を知っている。けれどその知識のいくばくかは、僕にも分けてくれることになった。
「互いの恋人を交換して自分のセックスを知ろう」と僕たちは決意した。それは命令ではなく、祈りのようだった。
愛があるから触れるのではなく、欲望があるから触れたくなる。その違いを僕は幼馴染の彼女に教えることになった。
「教える」という名の交換ふたりから四人へ
まだどこか夢を見ているようだった。
「私、イってるフリしてたの」その告白は罪ではなかった。ただ愛をなぞる術を知らなかっただけだ。
彼女は僕に体の地図を差し出してくれた。「わたしのセックスを知りたい」そうしてふたりは、幼馴染という関係を脱ぎ捨て恋人の横顔を見つめながら、他人の温もりに包まれていった。
生々しさとやさしさが溶けあう午後。背徳などと呼べないほど正直な快感がそこにあった。
性欲は倫理を追い越してゆく
倫理というルールブックは、性欲という本能の前では風に舞う落ち葉のようなものだ。
彼女が他の男に許したキス、その相手が幼馴染の僕だという事実。彼女の中で揺れる熱さに、僕の理性は震え、同時に幼馴染の柔らかさと性を知った。
結局、僕らの心と身体は、誰にも完全には所有されない。だからこそ一夜の交換が教えてくれるのだ。欲望の中にこそ、ほんとうの対話があるのだと。
もしもう一度許されるなら、僕の彼女がスワッピングしているのを見たら、僕はセルフプレジャーをその場でして、他の3人から見てもらいたい。
