秋の風は乾いていて、誰かと話すたび、自分の声まで埃をかぶっているような気がした。
彼女と組むことになったのは、文化祭の係を決める教室の静かなざわめきのなかだった。名札の裏側で緊張を噛みしめ日常と少しだけ距離をとった彼女は、不器用な敬語で淡々と役割をこなしていった。
そのまま行き違いもなく、さざ波のような関係は終わると思っていた。
けれどある夜、電話の向こうから漏れた声が全てを変えた。
そんなFANZA同人がサークル名はひやしまくらの「オナトモ。 僕の部屋がクラスの女子のオナ部屋になった話。」。

手淫の孤独が重なり夜に小さな熱を灯す相互オナニーの関係性
聞くつもりのなかったその音は、音ではなく呼吸のようなあるいは無音の震えのような本能を呼ぶ起こすものだった。
不意に知ってしまった、どこにでもいる地味で芋かわな身近にいる女子の同級生が、そしオナニーをしている一面。驚きとともに訪れたのは、拒絶ではなく奇妙な許しだった。
やがてふたりは、互いの孤独に触れるように同じ時間を過ごすようになる。誰にも知られぬ部屋のなかで、ただ静かに、オナニーを見てそして相互オナニーに発展する言葉にできない情動を重ねていく日々。
そこには性的な露悪などではなく、むしろ心の居場所を見つけていくふたりの過程があった。
無垢と背伸び、その狭間で揺れる“芋かわ”な彼女
彼女は決して大胆でも奔放でもなかった。ソファの隅で膝を抱え、少し背伸びをしたような下着を選び、けれどキスをしようとすると途端に動けなくなる。
その不器用さが少年の胸にかすかな痛みを残した。
性という単語が意味をなさぬほど、ふたりのあいだには、もっと曖昧で、もっと濃密な何かが流れていた。
しかし静かだったその関係は、思いもよらぬ第三者の介入によって、かすかに軋みはじめる。
それは性ではなく手淫を通した孤独の共有だった
この作品は、欲望を描いているように見えて、実は居場所を持たない心が求める温もりを描いている。
ふたりの行為は身体性に向かっているようで、沈黙や恥じらいという名の感情の往復だ。
オナニーという語が意味するのは、ここでは行為ではなく孤独を撫でる儀式であり、身近にいる芋かわと呼ばれる彼女の存在。その純朴さと微かな性の揺れを誰よりも静かに伝えてくる。
でもそんな素朴な子が男から性欲をぶつけられることに興奮を覚えると事実に、思わず性的な興奮を覚えざるを得ないのだ。
「オナトモ。 僕の部屋がクラスの女子のオナ部屋になった話。」のサークル名はひやしまくら
作品名は「オナトモ。 僕の部屋がクラスの女子のオナ部屋になった話。」、サークル名はひやしまくら。
一見シンプルに見えて、じんわりと心を掴むその絵柄。僕の感覚にふわりと羽根を生やし、どこまでも連れていってくれる、そんなひらしまくら先生です。