人知れぬ静けさは、午後の教室にだけ流れている。隅の机と机がくっついたそのわずかな空白に、見えない何がが潜んでいるようにふたりの秘密もひそんでいた。
蒼白な蛍光灯の下、会話のリズムも、目線の角度も、お互いにズレていたはずのふたり。天野と上村。けれどゲームという仮想世界の端で、彼らは偶然のように同じ孤独を見つけ合ってしまったのだった。
気を許すとは、他者の孤独を許容すること。ぎこちない笑いを交わしたチャットの先に、ふたりのそれからは、ひっそりと芽を出していた。

「一度だけ」交わされた約束が染みつく体温
「処女とか、面倒だから。」
天野の放ったそのひとことは、無感情なようでいてどこか切羽詰まっていた。恋でも愛でもなく、もっと即物的でもっと空疎でそれでもきっと誰に触れたかったという欲望だけがそこにあった。
その願いに上村は応じた。
月も眠るような夜。畳の隅に敷かれたマットの上、教科書のページがふたりの手でめくられるように新しい知識として少年と少女は互いの体温をゆっくりと知っていった。
最初の交わりはぎこちなく痛みも戸惑いも感情のなかで滑っていったが、それが終わったときふたりのなかに芽生えたのは、確かな「新しいはじまり」への戸惑いだった。
関係が変わることの怖さと甘やかさ
翌日から、ふたりの距離は変わった。
教室で、目が合えば逸らす。ふとした沈黙の時間がふたりのあいだをじわじわと裂く。
けれど教室の片隅でふたりきりになったとき、ふたりは再び性器を互いに受け入れた。たしかに前とは違う、童貞と処女にいたときよりも少しだけ勇気の混じった肌触りだった。
天野は上村の目の前で制服を脱がなかった。自分の意思で学校での性交という時間を迎えるためのささやかな防御でもあった。
硬い床の感触も衣擦れの音も、その夜のふたりを忘れられないものに変えていった。
性愛よりも濃い、名もなき親密さ
この作品が描いているのは、明確な関係性や言葉に縛られない曖昧だからこそ濃密な性愛の前段階である。
性行為そのものよりも、その前に交わされる合意、視線、沈黙、期待、そして躊躇。それこそがこの作品における最大の倒錯的快楽だ。
制服は記号であり、恋と欲の“境界にいる者がまとうまだ守りきりたい自我の象徴として機能している。
騎乗や背面などの具体的描写は、単なる体位ではなくふたりの関係性の縮図として象徴的に描かれている点に注目すべきだろう。
「陰キャ同士の付き合う直前が一番エロいよね」の作者名はどじろー先生
作品名は「陰キャ同士の付き合う直前が一番エロいよね」、作者名はどじろー先生。
陰キャという絵柄。
ひっそりとした魂同士の交わりを描く筆致に、内向の美が宿る。互いの孤独が触れ合うその線は、まるで夜の奥底に咲く白い花のようで、静かにしかし抗い難くこちらの情念を掻き立てる。